特に特徴がない

大手転職エージェントで働くごく普通の20代の雑記

満足した豚か不満足なソクラテスか

ツイッターでたまに回ってくる『東京カレンダー』という媒体を読んで、妙な胸騒ぎを感じている。

 

 コンビニとかにもたまに雑誌版が売っているので、ちょっと読んでもらいたい。

 

端的に言うと富裕層向けのライフスタイル雑誌なのだが、(とはいってもせいぜい有名企業勤務とかその程度の人もいるので富裕層というよりは小金持ちくらいなのかもしれない)一般人の生活と比べて華やかさや、ある種の特権意識をにおわせる雑誌なのだ。

 

腹立たしいことはそれを見て、読んで、自身の生活のみじめさを感じてしまうことである。

 

20代も半ばに差し掛かると、異性も「どこに勤めているのか」を一つのステータスとして私を(そして多くの男性を)見てくる。

 

私としては今の会社を全く恥じていないのだが、外資金融とか、コンサルとか、そんなのと比べると華やかさはない。

 

会社名で勝負するなんて、そんなものはくだらないと思いながら、感化されてしまっている自分が腹立たしいのだが。

 

これを読むと社会人歴が長くなるにつれて、失っていたある種のハングリーさを呼び起こされる。

それはより人より高いところへ行きたいという優越感である。

 

年収1000万クラスの小金持ち(私はそれよりも稼いでいないのでそれ以下ではあるが)にすら自分が勝てていないことに対するいらだちもあるのかもしれない。

 

そこで考えたのは、よく言われる満足した豚と不満足なソクラテスの話である。

 

金持ちのこういった遊びやら生活を「低級」「低俗」と一蹴するのは酸っぱい葡萄のような気がするが、別にお金なんてなくても自身の心の満足が達成されれば人は幸せになれるのではないか。

 

そして自分が本当に求めているのは、後者なのではないか。

年収500万くらいでも別に不自由しないし、楽しく暮らしていると思う。

だから、そのような上を見ることは自身の心をすり減らすだけで幸せになれないのではないか。

 

結局大人になっても根本の劣等感みたいなものは変わらないのかもしれない。

努力をした先にあるものがさらなる渇望であるならば、その劣等感に蓋をして自身の幸せを他人との比較ではなく、自分という個としての幸せのみを見つめられるのであればより善い人生を送れるのではないかと思う。

 

しかし、そのようなときはまだ訪れそうにない。

 

不満足なソクラテスがやがてメンタル不調にならないように、自身の心と正直に向き合っていくしかない。

 

一応人材系のブログっぽく締めておこう。

 

キャリア形成を見栄で考えると失敗する。

もちろん、より高みを目指して飛んでいくことは、決して悪いことではない。

 

ただ、イカロスにならないよう自身の適切な高度は保つべきだ。

 

鋼鉄の羽をもつものは数少ない。

多くの人は自身の羽が蝋であったことに気が付いた時には,海に向かっている。

 

高さを競うのではなく自身が生きたいところへ飛んでいくことを考えた方が多くの普通の人は幸せになれると思う。

 

それでも挑戦したいものはより高みを目指してみるといい。

多くの人がたどり着けないような高いでは、見る景色は格別であろう。